(旧HP巻頭エッセイ24) 2020年1月 七つの雪 里見 佳保
雪の季節がやってきた。毎日天気予報を入念にチェックし,朝一 番に窓を開け,降雪積雪を確かめる。雪かきをしなくてはならないし, 上着や靴の準備も必要だ。仕事に行くには早めに出ていかなくて は間に合わなくなる。冬は雪にあわせて生活をしていかなければならない。
生活の不便さから気分も沈みがちになる冬だが,こんな話を知った。
イヌイットの人々の雪の表現は状態によってさまざまにあるのだという。寒い地域で生活するイヌイットの人々はより詳細に氷雪に囲まれた世界を語るために多くの語彙が育まれてきたのだとされている。
出かける前の私のように目の前の雪景色をいやだ,と思っているだけでは決してこまかく見ることも言い表すこともできないだろう。 言語は情報伝達の道具としての働きだけでなく,思考の道具としての役割を持っている。言語が持っている2つの働きをヴィゴツキーは外言と内言と呼んで区別した。つまり声に出してコミュニケーションの道具として用いられる言語を外言と呼び,声に出さずに 頭の中で思考として用いられる言語を内言と呼んだのである。
歌も言語を使う表現であるから当然,外言的な面と内言的な面がある。歌は誰かに向かって発するものであり,心情や状況を伝えること,受け止めることそれが喜びとなる。また一方で自分の内側 にゆっくりと自分の声を響かせていくような,自分自身の道しるべを 置くような,そんな静かな喜びもある。たくさんの言葉を持っていれば,より適切にわかりやすく他者に発信したり,他者から受信したりすることができるし,自分の思いをより丁寧に深めていくことができる。語彙を豊富にしていくことは,この二つの喜びを耕していくことなのだろう。太宰治の小説『津軽』の冒頭にはこのような記述がある。
七つの雪を心のなかに降らせ,積もらせこの冬を暮らしていきたい。
津 軽 の 雪
(東奥年鑑より)
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