(旧HP巻頭エッセイ30) 2020年11月 朝川わたる 千家 統子

  少し前になるが、外出を控える日々の徒然に、テレビのチャンネルをザッピングしていると、但馬皇女の次の歌を解説していた。

 

  人言を繁み言痛み己が世にいまだ渡らぬ朝川渡る

 

  万葉集に「但馬皇女、高市皇子の宮に在ますときに、ひそかに 穂積皇子に接ひ、こと既に形はれて作らす歌一首」とあり、高市皇子の妻であった但馬皇女が、ひそかに穂積皇子と恋仲になり、 それが露見した時の歌である。何気なく聞いていたら、「皇女が恋しい人のところに朝の川を渡ってこれから会いに行くわ」とい解釈で、あらっ?と思った。万葉集をしっかり学んだわけではないが、長年、これは逢いに行った後の歌と思っていた。女性から逢いに行くのは当時尋常ではない恋の形、しかも人妻、夫である高市皇子は持統朝の1の権力者で、親子ほども年の差があっただろう。夜人目を偲んで恋人に逢いに行き、まだ明けきらぬ冷たい朝の川を渡り自邸に帰ることは、この恋の引き返せない覚悟のようなものを感じさせると思っていた。

長年の私の解釈と違ったので、いくつかの解説を読んでみた。  図書館に行けないので、とりあえず手持ちのものばかりだが。

 

 〇皇女自身が逢いに出かけて行ったと考える(岩波日本文学大系)

〇密通という未知の世界にあえて足を踏み入れた皇女の行動が 寓意として歌いこまれているか。(小学館日本古典文学全書)

 〇「朝」は男女が逢って別れるときである。異常な仲であればあるほど暗い夜に尋ねて夜の明けぬうちに帰るのが普通であろう。(中略)この初めての情事をなんとしても成し遂げるの だ。(万葉集釈注 伊藤博)

  〇哀しみに袖を濡らしている。(中略)かち渡りして濡れたのに 譬えたのである。(口訳萬葉集折口信夫)

 〇人目につかない早朝に川を渡ってあの方のもとへ行くのだ。(万葉の女性歌人たち 杉本苑子)

 

  こうしてみると、私の解釈は伊藤博氏のと同じだった。

 

 ここで、歌友の幾人かにメールで尋ねたところすぐに返信が あり、面白いことに、全員恋人に会った後の後朝だとの答え。 曰く「一夜を明かしてそっと帰る。」「人目を偲んだ一夜の逢 瀬。燃えた肌身のほとぼりを醒ます朝川」「朝っぱらから逢い に行くか!」等々。そして、「やっぱり後朝よね」で歌友メール は一件落着した。

 

  外出を控えている日々ではあるが、万葉集の歌1首で、いろ いろと楽しめた。それにしても歌友は全員後朝説だったのは なぜだろう。

 

説はいろいろあるのに。

コメント

このブログの人気の投稿

お知らせ 2

このブログについて(お知らせ1)

(旧HP万葉カフェ10)2020年6月