(旧HP巻頭エッセイ31)2020年11月 歌時間 里見 佳保
若い頃はもっぱら夜型人間だったのだが、子どもが生まれて からは夜明け前に起きる超朝型に変わった。母親になってやりたいことよりもやるべきことが圧倒的に多くなったから、ひとりの時間が欲しかったのだ。
朝は自分がやりたいことを優先してやった。お湯を沸かして ゆっくりお茶を飲むこと。朝日を浴びること。他にもいろんなことにチャレンジした。パンを作ったこともあったし少し時間がかかる煮物も作ってみた。そしてなにより歌を読むこと、作ること。朝にやりたいことが待っているので起きるのも夜型の頃よりぱっと起きられるようになった。朝の歌時間は静かで空気も気持ちよくてとても特別な時間。まだ何も始まっていない時間空間にいると自分の心や自分の周りで起きた出来事がくっきりと浮かび上がってきて、そういったことを歌の題材にすることも多かった。朝の歌時間から一日を始めるとなんだかきちんと生きているような気がしてうれしかった。実際はまったくそんなことはなく、バタバタしていたのだけれど。
好きなこと、やりたいことをして自分が満たされた時間があることで自分の時間を家事や仕事などで他の人のために使うことにも大らかでいられたように思う。
朝の歌時間は限られているから、読むのも書くのも短く完結できるという歌の小ささがつくづくありがたいと思った。小さい分、たくさん作ればいいのだ。
歌への向き合い方も以前とは少し変わった。歌を作る時言葉を追いかけて追いかけてという感じがあったけれど、どちらかというと受けとめた言葉を手放していくという感覚になった。
歌の世界は千年以上流れ続ける川のようなもの。流れに自分の歌を放って見送る。そんな感覚。手放せば、またあたらしいものとの出会いがある。そしてまた手放す。そんなことを朝の歌時間の中で繰り返していきたいと思う。
文体が溶けてゆくから歌わなかった―ライラック色の暁が来る ( 前田透『天の金雀枝』)
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