(旧HP巻頭エッセイ34)2021年3月 蕗の薹 千家 統子

 もうすぐ春と思う頃になると、蕗の薹が食べたくなる。  あのほろ苦さが田舎育ちの私には、土筆とともに季節の節目のようになっていた。東京に住むようになっても、母から送ってもらっていたが、母がこちらへ来てからは、思うようには口に できない。スーパーで妙にきれいに整ったものを見つけても7,8個で500円近くすると、手を引っ込めてしまう。

   それでも季節のものとして1回は買い、2個は天ぷら残りは蕗味噌にして楽しむ。たまに故郷の友人が多く送ってくれたりすると、アンチョビと蕗の薹のパスタとしゃれてみる。

 

     蕗は日本原産で「ふふき(布布木)」と言われていた。  山野に普通に生えていた蕗だから古代の人にも身近な食糧だったはずだと思って、万葉集を見たり古事記を見たりしても、 蕗も、蕗の薹も出てこない。播磨の国風土記や出雲国風土記には産物として蕗の記載はある。長屋王家木簡には、「山背薗進〇蕗六束」とあり、山背にあった薗から届けられたらしい。  六束とあるから、蕗の薹ではないだろうけれど、長屋王も妻の 吉備内親王も蕗は食べていたはずだ。あくまで茎や葉を食する野菜で、歌となるような気を引く植物ではなかったのだろうか。

 

     蕗の薹という呼び方が当時なかったといううことも考えられないわけではないが、こうも古代の文献に蕗の薹(蕗の芽など)が出てこないと、蕗の薹好きとしては少々意地になって探してみた。すると平安時代の医学書『大同類聚方』(808年)に 薬草 「加波布支(カワフキ)」の解説文の中に「フキタンポポを 款冬花といいつぼみを薬用にする。日本ではフキノトウを代用している。」 とあった。解説文はもちろん現代のものだが、漢方薬の代用品と して使われていたらしい。食品でなく薬であり、春につぼみが地面から出てくる生命力を感じさせるとはいえ、花はとても地味だから、あまり詩心を刺激されなかったのかもしれない。時代が下れば食用としても一般的になり、葉や茎だけでなく、蕾も普通に食されるようになったのかもしれない。

 

       蕗の薹の俳句は結構あったが、短歌は明治以降のものしか見つけられなかった。

 

       莟とはなれもしらずよ蕗のたう   蕪村

 

       ふきのたうひとつ見つけて昨までの無念も苦く浄まるごとし       小中英之

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