(旧HP巻頭エッセイ36)2021年6月 北山あさひ歌集『崖にて』の魅力 和嶋 勝利
『崖にて』の魅力の一つに、一首のなかの句の取り合わせの妙味がある。次のような作品から確認していきたい。
お年玉ください二百万円でいいです雪に立つ枯れ紫陽花
あの赤いプラダの財布よかったな買おうかな働いて働いて
あくまでも庶民の感覚だが、「二百万円」はお年玉としてはあり得ない金額だ。しかし、この二百万円という金額だけに注目すると、この微妙な金額がやけにリアルで、その取り合わせが楽しい。さらに、「雪に立つ枯れ紫陽花」という風景が重なると、作品から奇妙な切実さが立ち上がってくる。
また、「働いて働いて」という結句も、確かにそのとおりなのだが、この素直なもの言いが新鮮で、意表を突かれた。
物語始めるようにお葬式一回分の貯金をおろす
まっすぐに心はお金を経由せり白ヒヤシンス青ヒヤシンス
残高の十八円がほんとうの友達だから泣かずに帰る
本歌集の金銭にかかる作品は、とにかく内容が切ない。
しかし、ここに引用した、「葬式一回分の貯金」や「残高の十八円」等、金銭にかかる句とそれらを取り巻く句の取り合わせの妙味が作品に堂々とした存在感を示している。
テレ朝と喧嘩していた先輩のごぼうのようなたましいが好き
夕焼けて小さき鳥の帰りゆくあれは妹に貸した一万円
東京のように冷たく強く速く給料上げろと告げて来たりぬ
句の取り合わせとなると、やはり本歌集の個性的な比喩にも触れないわけにいかない。これらの比喩から何が連想できるだろうか。
「ごぼうのようなたましい」とは、細いが泥臭さや芯のあるたましいであることの想像がつく。妹に貸したきり返ってこないのだろう、鳥をひらひら飛んで行ってしまった一万円札に見立てた。また、東京は、作者にとって「冷たく強く速」い存在なのだ。どれも読者の心にすっと落ちる巧みな比喩といえる。
最善を積み重ねてはおにぎりの中身のように自由に笑う
履歴書の写真のような顔をして飛んでいるのにかもめはきれい
父は父だけの父性を生きており団地の跡のように寂しい
これら比喩は作品をひときわ印象的にしている。
最後に、音楽にかかる作品にも触れておきたい。
恋人が兵隊になり兵隊が神様になる ニッポンはギャグ
作品は、靖国神社に祀られている御霊を述べたものだ。結句から、「勝手に神様にされて。」という作者の呆れたもの言いが聞こえてきそうだ。
ところで、この作品の上四句であるが、作品のモチーフになっているのは、「花はどこへ行った」である。シリアスな反戦歌を本歌として、結句のアレンジの組み合わせにより作者の作品となった。
ともだちが短歌をばかにしないことうれしくて
ジン・ジン・ジンギスカン
ハロー・グッバイ ひっくりかえる一瞬の
光もぜんぶお好み焼きだ
この「ジンギスカン」とは、1979年に世界的にヒットした曲。 作者はカバー曲で知ったのだろう。嬉しさが沁みるようなときに用いる副詞の「じんじん」と同曲のサビのフレーズを掛けたものだ。ひょっとしたら、ジンギスカン鍋を囲みながら友人と短歌の話になったのかもしれない。
ハロー・グッバイはやはりビートルズがすぐに思い浮かぶ。お好み焼きをひっくり返すときに、この曲が思い浮かんだというフラットな感覚が非凡だ。
二物衝撃などという言葉を用いるまでもなく、一首のなかの句の取り合わせは短歌の急所である。その効果が『崖にて』の作品を鮮烈にしている。
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