(旧HP万葉カフェ9)2020年5月
自粛による蟄居が続いています。毎日無事に送れることが何より有り難い時節、春先にはおずおずと試し鳴きだったウグイスが、青葉の中で誇らしげにさえずったり、庭のヘビイチゴの紅い実に朝露が光っていれば、翳りがちな気持もほんのりと明るみます。
そんな折、毎日新聞の夕刊で澤田瞳子による歴史小説の連載「恋ふらむ鳥は」が始まりました。万葉屈指の女性歌人「額田王」を主役とするもので、一年間という長丁場が予定され、万葉ファンのみならず古代史愛好家も楽しませてもらえそうです。
額田王については、『万葉集』が伝える十二首と『日本書紀』の天武二年二月の条に「天皇、初め鏡王の女(むすめ)額田姫王を娶りて、十市皇女を生(な)しませり」とあるだけで、その実像は深い歴史の闇に閉ざされています。歴史資料の読み込みに定評のある作家の筆力が、どんな歌人像を浮き彫りにしてゆくか。巣ごもりの日々に、夕刊を待つ楽しみが増えました。
「恋ふらむ鳥」というタイトルは巻二にある、弓削皇子との贈答歌から引用されています。持統女帝の行幸に随行した弓削皇子は、吉野から倭京(飛鳥)の額田へ次の歌を贈りました。天武亡き後、かつての華やかな活躍の場は無く、額田はひっそりと老いの身を養っていました。
いにしへに恋ふる鳥かもゆづりはの御井の上より鳴き渡り行く 巻2・111
「昔のことを恋う鳥でしょうか。ユズリハの樹のある御井の上を鳴きながら飛んで行くのは。」天武の皇子でありながら持統の御代に不遇だった弓削皇子は「懐旧の鳥」に自らを投影しています。そして、同じく過去の人となった額田と哀愁を分かち合おうとしたのでしょう。
また弓削皇子は「昔を恋う鳥とは何か、ご承知ですか」という問いかけもしています。中国の故事によると、ホトトギスは懐古に悲嘆して啼く鳥とされていましたから。
いにしへに恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし吾が思へるごと 巻2・112
「昔を恋うて啼くのはほととぎすですね。もしや、私が昔を恋い慕って鳴くように、啼いていたのでしょう。」額田は弓削皇子の思いを汲み、遠き天智天武の世を懐かしみながら、身に付けた教養もさらりと示しています。
弓削皇子との贈答歌によって、額田の晩年に最後の輝きが添えられました。
(寺井登志子)
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