(旧HP巻頭エッセイ39)2021年10月 地図記号 里見 佳保
あったけれど、忘れていたことと初めからなかったことは 違う。忘れていたことは何かのスイッチが押されるとたちまち記憶が蘇ることがある。
今年の大河ドラマは「青天を衝け」。主人公たちが話しているのが私のふるさとの方言なので、とてもなつかしく、視聴する楽しみの一つとなっている。 先日の回では養蚕について触れたシーンがあり、これもまたなつかしかった。いろいろなことを思い出した。
私が子どもの頃にはまだ友だちの家の何軒かで養蚕をして いたこと。大人も子どもも蚕は「お蚕さん」と呼んでいたこと。 友だちの家に遊びに行き、養蚕小屋に入ると蚕が桑の葉を喰むなんとも言えない音がしていたこと。蚕は新鮮な桑の葉だけを喰むため、近所には桑畑が広がっていたこと。道をゆく軽トラが桑をたくさん積んで走っていたこと。桑の実を摘んで食べ、口が紫色に染まったこと。蚕を手に載せた時のひんやりとした 感じもまだ覚えている。町内には繭を煮て生糸を取り出す工場もあって、煙突が立っていた。
そうだ、小学校の社会科の授業で地図記号を習ったことも思い出した。自分たちが住んでいる町の白地図に学校、田、畑、などと同様に桑畑の地図記号を書き込んだ。桑畑の記号はたくさん書いたものだ。アルファベットのYの字に似ているが、桑の木を横から見た形だという。
ところが、今回調べてみると桑畑の地図記号は平成25年に 廃止になったとのことだった。同様に塩田も廃止になったという。反対に風車、老人ホームなどの記号が新しく登場した。 時代が 変われば、風景も、人々の仕事も、それに伴うさまざまなことも変わっていく。
新型コロナの影響でふるさとに帰れぬ日々が続く。もう養蚕をしている家はない。あの工場も桑畑もない。それでもたしかに 白地図に描いたあの風景が私の心の一番奥に広がっている。
ひとり来て蚕のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり 斎藤茂吉
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