(旧HP万葉カフェ4)2019年12月

    古い歌友の一人に橘初枝さんという方がいます。てっきり筆名と思っていましたが、本名だと分かったのは大分あとのこと。作風もどこか「五月待つ花橘の香をかげば」の風情に通じ、作者名と作品の取り合わせに妙味を感じたものです。

  『和歌植物表現辞典』によれば、「橘」は「ミカン科」でその実は「酸味が強く食用にはならない」とあり、和歌で詠まれるのは初夏の白い花とその香の芳しさがもっぱらで、私たちが食する蜜柑とは異なるものと思っていました。
ところが小学館の『古典文学全集』頭注に、「橘」は現代の「こみかん」にあたり「一斗の価が三十五文ないし五十文、米とほぼ等しく当時の高級果実」という記載がありました。平城京から出土した木簡の研究が進み、「橘」に関するそうした記載が判明したのでしょうか。『常陸国風土記』香島郡の条にも「多く橘をうゑてその実うまし」とあるそうです。
  ミカンは今でも、美味しいだけでなく風邪予防にもなるという心強い冬の相棒ですが、その果実を奈良時代の貴族たちも賞味していたかと思うと、ふわりと心が天平の昔へと広がります。

    万葉集にも「橘」という姓名にちなむ歌が登場します。こちらの「橘さん」は藤原不比等の妻で、光明皇后の母となった橘三千代のこと。元の名を県犬養三千代といいましたが、宮中での長年の忠誠を称えられ元明天皇から「橘」の姓をたまわります。
その時の詔に「橘は果実の王として人に好かれ、枝は霜雪をしのいで繁り、葉は寒暑に堪えて枯れず、珠玉と光を競い、金銀に混じってもいよいよ美しい」それゆえ「橘宿禰」をたまう、とあります。「橘」をことほぐ優美な詔勅で、さすが天平文化の礎を固めた女性天皇と感心します。
    三千代は不比等と結婚する前に美努王に嫁し、二人の息子をもうけました。そののち不比等の後妻となって光明子を生んだわけですが、後年、二人の息子は皇族の身分を捨て臣籍降下を望み、母方の「橘」姓を許されます。その祝宴の際の聖武天皇御製歌として次の歌が伝わります。

 橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉(とこは)の木                      
                          巻6・1009

かつての元明天皇の詔勅が、孫の聖武によってこの歌で活かされています。永遠の栄えを寿がれた息子のうち、兄王は「橘諸兄」となり、天平の一時代を画する政治家となりました。大伴家持を庇護して『万葉集』編纂の有力な後援者となった人物です。「橘さん」はこの国最古の歌集でも、忘れてはならない存在でした。

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