(旧HP巻頭エッセイ46)2022年7月 「歌枕」展 千家 統子

     歌枕をテーマにした美術展に行ってきた。古来歌に詠まれた地名にちなんだ意匠の屏風や、蒔絵の硯箱、櫛、衣装、陶芸 作品、そしてそれらの和歌の水茎麗しい書、等々、和歌が日本の美術に果たした重要性に納得の展示だった。古代から現代まで著名な作者も無名の作者も歌枕にインスピレーションを得て、創作をしているが、それは時代が移り変わっても、その作品の美しさだけでなく、テーマを理解し歌枕の持つ物語を愛でる人々の存在があってこそ作り続けられてきたのだろう。 

     華やかな色彩や蒔絵などに彩られた具体的な絵柄作品がほとんどの展示の最期に江戸時代の伊万里の皿があり、今回この作品がとても心に残った。円形の皿の半分は瑠璃釉の深い紺、もう半分は柿釉の茶色に染め分けられ、紺色の中に白く丸文が抜かれたシンプルなデザインである。江戸時代に随分モダンでおしゃれと思ったが、歌枕はどこなのだろうか。 

   プレートには銘「武蔵野」とある。たちまち深い紺は夜の空、柿釉の茶は、果てしなく広がる武蔵野の平原、白い丸文は地平近くに浮かぶ月となった。

 

          ゆく末は空もひとつの武蔵野は草の原より出づる月影

                      藤原良経

         入る方の山の端もなき武蔵野のあくともよはの月やのこらん

                      後宇多院

  

実業家で茶人だった北村謹次郎の蒐集品であったこの皿に「武蔵野」と名付けたのは、北村と親交があった写真家の土門拳だそうだ。円と半円だけで構成されたこの丸皿が「武蔵野」と名付けられたとき、この数寄者と写真家にはいく時代を経ても変わることない、そして現実にはない武蔵野がありありと見え、「これこそよ」と膝を打ったのではないかとさえ思ってしまった。この皿がはじめから武蔵野を意図していたものかは不明らしい。 

  銘がなければこの皿は上下左右どちらから見ても構わない図柄だと思う。遠い世の歌人、江戸時代の作陶家、昭和の数寄者、 写真家が、直径15センチに満たない皿に広々とした風景をたち あがらせた。歌枕の生命力の強さを物語るエピソードだと思った。

  ここ数年は美術展などに足を運ぶことがためらわれていたが、 目の保養とともに、歌枕によって厚みを増していった日本の美術 の近い時代の例を知り、その豊かさを味わうことができた。

  それとともに、歌枕でなくても地名の持つ厚みを捨ててしまいかねない安易な地名変更の行く末が思われ、寂しさも覚えた。                    

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