(旧HP巻頭エッセイ50)2022年11月 荒物屋 千家 統子

    この地に住むようになって四十年近くなる。当初は近所に、 八百屋、肉屋、豆腐屋、和洋菓子屋(もともと和菓子屋だけれ どここのスイートポテトは美味しかった。)荒物屋(東京に大雪予報がでてスコップを買いに走った)、文房具店などの個人店があったが、今は飲食店やオフィスビルになってしまった。

  そんな話を三十代の若いママさん達にしたら、本当にここ買い 物に不便ですよねと言いながら、「荒物屋って何を売っている お店ですか。」と聞かれた。「雑貨屋よ。」と答えたら、「雑貨屋は近くになくてもそう不便じゃないですよね。」、と言う。

  彼女の 雑貨屋のイメージは女の子好みのオシャレで可愛い小物を いろいろ売っているお店らしい。どうも〈荒物屋〉も死語になりつつあるのか と愕然とした。一応日常に使う、例えば箒や 塵取り、洗面器、釘、金づち、ロープ、薬缶、鍋、菜箸、ホース、 スコップ、植木鉢等々、オシャレとか可愛いとは程遠い実用品 諸々を売っていたと説明 したら、「それ、ホームセンターですね。」と返ってきた。言われてみれば、近所のミニホームセンター的な役割だっただろう。だから2軒あった荒物屋はとても便利だった。

   そしてこれらの個人店は、買い物客の目の前で店の主人やおかみさん、一人か二人程度の店員さんが立ち働く様子がよく見えていた。子供を連れての買い物をすれば、水槽に沈むお豆腐をすくってくれるおかみさんや、魚を下ろしてくれる手元、大根の葉を切るか切らないか聞いてくれたり、注文通りの太さ長さのホースを倉庫から出してきてくれる店員さんを、子供はじっと見て、自然にそれぞれの仕事を知っていったのだと思う。スーパーも店の裏では大忙しだろうけれど、客にはパック詰めされたり束ねられたりして、きれいに並んだものしか見えない。作業の様子を子供が日常的に見ることはめったにないだろう。 

   三十代のママさんたちは、スーパーマーケット、ホームセンター世代なのだ。荒物屋という、アナログ的な品々がきれいに並べられているというより積みあがっているイメージの店は、ドラマや映画の中でしか見ることがないのだろう。

    我々が手にする全てのものは、誰かの働きがあってこそという当たり前のことを頭ではなく、何の構え無しに自然と実感として 身に付いた時代はもう戻ってこないのだろう。

 

      古本屋 豆腐屋 床屋 荒物屋 友らの親はよく働きき

                    橋本喜典『悲母像』 

コメント

このブログの人気の投稿

お知らせ 2

このブログについて(お知らせ1)

(旧HP万葉カフェ10)2020年6月