(旧HP巻頭エッセイ51)2023年1月 うさぎ年 里見 佳保
うさぎ年である。前のうさぎ年は2011年。東日本大震災が起こった年だ。あっという間だった気もするし長かった気もする。 とにもかくにも10年以上が経っての今の時点での記憶や思いを記してみたい。
私は当時も今も東北の港町に住んでいる。3月11日から数日電気が使えない生活を送った。スーパーからはものが消え、ガソリンスタンドで長時間並んで給油した。同じような、いや、もっと大変な苦労をされた方もたくさんおられたと思う。
海沿いには津波が到達していたのだが、ニュースが見られなかったので自分たちの土地にどんなことが起こっているのかは後になって知った。海なし県の生まれのため、津波がくるということがどんなに恐ろしいことなのかその時までよくわからなかったのが正直なところだ。
夜は星空が異常なほどきれいだった。町中の灯りは消えた状態だった。経験したことのない事態を耐えるのにはただただ空を見上げるしかなかった。3月の空は寒くて、きれいで、とても遠かった。あれよりきれいな星空はまだ見ていない。
数日たって海の近くに行くと風景は一変していた。そこにあるはずのものがなかったし、ないはずのものがあった。建物が流されていたり、船が陸にあがっていたりしていたのだ。今まで続いてきた暮らしは、なすすべもなくあっという間に消えたり、形を変えたりすることだってある。
自分たちの暮らしはかけがえのないものなのだと思う。ついついそのかけがえのなさを忘れがちになってしまうのだけれど、 時々暮らし自体、時間そのものへのいとおしさがこみあげてくる。
その後の歳月で何かを積み上げてきたのかと問われたら、あまり変わっていない自分に気づく。家族のことを気にかけ、仕事に行き、歌を作る。それを繰り返してきた。そう、歌はいつも暮らしの中にあった。このことを今、心から喜びたい。
かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを
長谷川櫂『震災歌集』
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