(旧HP巻頭エッセイ54)2023年4月 鯉幟 千家 統子
もうすぐ5月5日子供の日。今は男女区別なく子供の健やかな 成長を祈るということになっているが、以前は3月3日が女の子、5月5日が男の子のお祭りということになっていた。
それより前を言えば子供は関係なく、それぞれ上巳の節句、端午の節句で、厄災を払う行事の日であったようだ。端午の節句の折に厄災を払う薬草とし用いられる菖蒲が、「勝負」や「尚武」に通じ、武家社会でいつしか男の子の成長を祈ったり祝ったりにつながったらしいが、定かではない。今はお雛様に比べると、鯉幟も甲冑や五月人形も今一つ盛り上がりに欠けるようだ。やはり武力を誇るような飾り物は流行らないのだろか。それはともかく、青空を風をはらんで泳ぐ鯉幟は気持ちがいい。
今の鯉幟は、緋鯉や小さい鯉を引き連れたファミリーで、勇壮さはあまりなく、「屋根より高い鯉幟おおきい真鯉はお父さん小さい緋鯉は子供たちおもしろそうに泳いでる」の歌が似合っているようだ。でも、ふと気が付いた。この歌では緋鯉は子供。てっきりお母さん鯉と思っていたが、やはり男子優先の戦前の歌だからだろうか。
一方、歌川広重の浮世絵「名所江戸百景 水道橋駿河台」の画面いっぱいに身を躍らせる一匹だけの真鯉の豪快さ。これはもうひとつの「こいのぼり」の歌「甍の波と雲の波重なる波のなかぞらを橘かおる朝風に高く泳ぐや鯉幟」を口ずさみたくなる鯉幟だ。鯉が龍になるという逸話はこの歌の3番、「百瀬の 瀧を登りなば忽ち龍にになりぬべきわが身に似よや男の子ごと空に躍るや鯉のぼ り」で知った。小学校の運動会の入場門が「登竜門」とあったの はこれなのだと知ったのは大人になってからだったと思う。
広重の鯉は瀧を登って龍になりそうだが、今頃の鯉幟は瀧上りはしそうもない気がする。瀧登りをするしないはそれこそ鯉の自由だが、瀧登りができる元気気概は持っていてほしいという 親の想いは江戸時代も今も変わらないと思っている。
元気気概を持った男に育った男の子が戦で死ぬなど誰も願わない。前登志夫の次の歌のような鯉幟の風景は、どこの国であってもいつの時代でも、二度とあってはならないはずだ。鯉幟の季節になると、この歌とともにその思いを新たにする。そして、今年はより 一層強く思う。
鯉幟はためく村よ死なしめてかごめかごめをするにあらずや
前登志夫『子午線の午後』
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