(旧HP巻頭エッセイ56)2023年7月 奏でる短歌(4) 和嶋 勝利

  今回は、ぼくの作品について述べたい。 YMOの高橋幸宏と坂本龍一が他界した。YMOがぼくにとってどんな存在だったか。それを述べだすと前置きが長くなりすぎるのでここでは割愛するが、「りとむ」20235月号のぼくの作品はその高橋幸宏への挽歌だ。幸宏の挽歌なんて絶対に詠めないと思っていたが、青春時代の回想と結び付けて一連にすることができた。幸宏の挽歌が詠めたことはぼくにとっても良かった。

   ところで、その一連の八首目に次の作品がある。

 

 さにつらふ若草色のセーターの写真の父はわれより若し

                                          和嶋勝利「りとむ」20235月号

 

  掲出歌は父への挽歌である。 一連の構成を考えた際に父の挽歌を置いていいのかどうか、当初は迷った。発表は別の機会にしようとも考えたが、何故か幸宏の死と掲出歌は強烈に繋がっている気がした。それが何なのかは分からない。ただ、掲出歌の発表の場はこの一連がぴったりで、ここから外してはいけないという感じはしていた。

 

   この時は連作に幅をだす効果のことなどを漠然と考えていた。

  しかし、あるとき幸宏の死と父の挽歌が繋がったのだ。

  実は、父が亡くなった年にYMOが解散(散開)していたのだ。

 

  そのことを思い出したのである。YMOのラストアルバムをウォーク マンで聴きながら父が入院する病院に通っていた記憶がつい最近になって蘇った。掲出歌が喚起してくれた記憶である。 

 これらのことについて整理すると、幸宏の死→YMOの真の終結→YMO解散時の記憶父の晩年の記憶、と無意識に記憶が連鎖していったようだ。 作者の意識を超越して作品を作らせるなんて、短歌にはこんな力もあるのか。短歌の奥深さをあらためて認識した次第である。 

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