(旧HP万葉カフェ3)2019年11月
最近、「御食国(みけつくに)若狭」という言葉をよく目にします。「御食国」とは天皇の食料を準備して献上する国のことで、万葉集では志摩国、淡路国がそうだと歌われています。若狭が「御食国」だとはどこにも記されていませんが、古くから製塩技術を持ち海産物の豊富なことから、近年専門家の間では実質的に若狭は「御食国」だったと推定されています。
かつて小浜を訪ねた時、地元の小さな寿司屋さんで「若狭は旨い!」と実感しました。ハタハタの炙り寿司、タコの含め煮、ぐじの酒蒸し、若狭カレイの一夜干しなどなど、地酒「早瀬浦」の酔い心地とともに思い出してもうっとりと幸せな気持になるのです。
帰りがけに駅の売店で、何気なく買った「後瀬(のちせ)」という和菓子も風趣に富むゆかしい一品でした。その名に惹かれ万葉集の読書会仲間に買ったのは、いうまでもなく「後瀬山」が思われたからでした。
かにかくに人は言ふとも若狭道の後瀬の山の後も逢はむ君
坂上大嬢(巻四・737)
あれこれ人が噂をして二人の仲を裂こうとしたって、若狭路の後瀬の山の名のように、必ずまた後で逢いましょうね、あなた。
一首の末尾が「君」で結ばれているのが可憐な感じです。この「君」とは将来の夫となる大伴家持です。
後瀬山のちも逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ
大伴家持(巻四・738)
私だって後にも逢おうと思えばこそ、逢えないつらさに死んでしまいそうなのに、こうして今日まで生きて来たのだよ。
「生けれ」は「こそ」で強めた「思へ」を受け、「生く」に付いた存続の助動詞「り」が已然形になりました。「思へ」も已然形ですが、「思へば」と同じ意味、思うから、思うので、などと訳します。
当時若狭路は都への流通の要ですから、都人にも後瀬山の名は知られていたのでしょう。言葉に敏感に反応する歌人なら、「後の逢瀬」とか「後の背」のニュアンスを是非とも一首に活かしたくなるのも頷けます。
天平の若い男女が恋の符丁のように用いた山の名が、名歌ならぬ銘菓を生んだのは、「海の奈良」とも呼ばれる小浜の土地柄でしょうか。親指の先ほどのこんもり丸い落雁からは、ほのかに肉桂の香りが立ち、中にしのばせた餡の甘さが余韻を引く絶妙の味わい。お抹茶にもエスプレッソにも合うことうけあいです。
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