(旧HP万葉カフェ12)2020年9月

 笠女郎(かさのいらつめ)その二


 今回は、笠女郎と付き合い始めた頃の大伴家持の歌を二首読んでみましょう。

  
振り仰(さ)けて若月(みかづき)見れば一目見し人の眉引(まよびき)思ほゆるかも                                                巻六・994

   巻六は年代順に並べられており、この歌は天平5年の作といわれ、家持の作歌年のわかる最も早い歌とされています。家持は15~17歳だったようです。題は漢語の「初月」で三日月のことをいいます。  


 振り仰いで三日月を見ると、一目見たあの人の引いた眉の形が思い出されるなあ。

  「三日月」を「若月」と記して「みかづき」と訓ませたのは、万葉仮名が持つ 漢字の絵画的な効果を期した、家持自身のこだわりでしょう。三日月の形に眉の引かれた、若々しい天平美人の花のかんばせが浮かんできます。

  上二句は「已然形+ば」により「~したので、~すると」という条件を設定し、 以下の展開につなげる基本的な歌の型の一つです。また、漢詩で「娟娟蛾眉に似たり」というところを、「若月の眉引」と言い得たところに柔らかい官能美があり、多感で繊細な表現への気負いが初々しく感じられます。

     
 大伴家を中心とした天平歌壇ともいうべき交流の中で、笠女郎の心を摑んだ一首かもしれず、「一目見し人」とはもしや自分のことかも、と相手からそんな昂ぶりを引き出す魅力を湛えています。

   恋のなれそめに相応しい華やぎのある歌ですが、この歌が作られる前年 おそらく天平四年に作ったとされる家持の歌に注目してみます。

     我が屋戸(やど)に蒔きし撫子(なでしこ)いつしかも花に咲きなむなそへつつ見む                                                      巻八・1448

  この歌は、題詞によると、将来妻となる坂上大嬢に贈った一首です。「なそへ」は「なそふ」で「成し副ふ」の縮約されたもの。異なる二つのものを同じだとみなすことです。

  わが家に蒔いた撫子はいつ花となって咲くのだろう。咲いたらあなただと思ってその花を見よう。その時が待ち遠しいよ。

「我が屋戸に蒔きし撫子」ですから、結婚の約束は交わしたものの、相手はまだ幼い蕾のようで当座の恋の対象にはならなかったのでしょうか。大嬢は家持より五つほど年少だったともいわれます。二人は従弟同士にあたり、その結婚は大伴宗家の結束を固める規定の路線で、逆らうわけにはいきません。家持と大嬢はやがて似合いの夫婦となりますが、この先数年間、大嬢への相聞は途絶えます。それは、家持にとって恋の疾風怒濤に身をやつす青春の日々であり、同時に万葉集編纂の大事に関わってゆく歌人大伴家持の揺籃ともなりました。

(寺尾登志子)

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