(旧HP万葉カフェ13)2020年10月

 笠女郎(かさのいらつめ)その三


    万葉集巻四には相聞の歌が集められていますが、笠女郎が大伴家持に贈った24首はまとめて並んでおり、ひときわ光彩を放っています。女郎から贈られた歌を、一気に並べて載せたのは家持その人に他なりません。

  彼女への返歌は当然あったはずで、家持はそれを自分の手控えなどに記していたと思いますが、自作は1首も載せていないところに、笠女郎作品への深い愛着と理解そして敬意が感じられます。

  24首を一連として読めば、女の激しい恋心が相手を求め満たされぬ思いに煩悶し、やがて自嘲まじりの諦めへと移ろいゆく内面のドラマが一人語りのように立ちあがってきます。ピンと張りつめたテンションの高さは最後まで揺るがず、笠女郎自身が、あたかも現代短歌の連作という手法を用いて、一気に24首を創作したとも思えるのです。 そうした作り方は、王朝時代になると、定数歌という形で現れますが、万葉の時代にあってはやはり、折に触れ笠女郎が「玉梓の使い」などに託した歌々を、受け取った家持が保管し、後に編集したと考えるのがよいと思います。

  ここでは、24首を少しずつ分けて、女郎の心の変化を読みとりながら味わっていきましょう。まずは始めの一首から。

       わが形見見つつ偲はせあらたまの年の緒長くわれも思はむ 587

 「形見」は生き死にに関係なく、その人を思い出すきっかけとなる物をいいます。何か贈り物に添えた歌だったのでしょう。「私が差し上げた物を見ながら思い出して下さいね。(あらたまの)年の緒のように長く私もお慕いしましょう」枕詞以外の技巧が無く可憐な可愛さが滲んでいますが、「わが」「われ」と一人称を重ね、我の強さも感じさせ、家持は若干引いて  しまったかもしれません。

     白鳥の飛羽(とば)山松の待ちつつぞわが恋ひ渡るこの月ごろを     588

  上二句は「待ち」を引き出す序詞です。飛羽山は未詳ですが、奈良市の東大寺背後の若草山に並ぶ小峰とも言われます。鷺の様にまっ白な鳥が飛ぶ映像が浮かび、今にも相手の元に飛んでいきそうな恋心です。「あなたのお出でを待ち続けて幾月も過ごしています」と訴えています。  せっかく形見を贈ったのに、家持は尋ねて来ませんでした。言い訳の歌くらいは返したかもしれませんが。

     衣手(ころもで)を打廻(うちみ)の里にあるわれを知らにぞ人は待てど(こ)ずける             
                            589

     「衣手」は「打つ」の枕詞で、「衣を打つ」には女の仕事だった「砧」の イメージがあり、「打廻の里」から砧を打ちながら男を待つ女の里が浮かびます。同時に「打廻」は、ちょっと廻って来る所、つまりご近所というニュアンスが含まれます。

     「そんなに離れていない私の住まいを知らないから、あの人はいくら待っても来なかったんだわ」家持と女郎の家は、そう遠く離れていませんでしたから、大分皮肉が込められています。まだうら若い家持、拗ねたような歌の口調に慌てて「打廻の里」へ赴いたらしく、恋の行方は次第に深みにはまってゆくのです。成り行きは次回に。  
(寺尾登志子)


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