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(旧HP万葉カフェ14)2020年11月

  笠女郎(かさのいらつめ)その四     恋する女の激しさに大伴家持の方はだいぶ及び腰だったようで、笠女 郎は煮え切らない男の気をひくような歌を次々送ってきます。     あらたまの年の経ぬれば今しはとゆめよ吾が背子我が名告 (の) らすな                                                        巻四・590   「あらたまの」は「年」の枕詞、「今しは」は「今は」の強め、引用の助詞 「と」が受けている上の句は、女郎が取り越し苦労のように想像する家持 の心理を表しており、「ゆめよ」は絶対に~するな、と禁止に呼応していま す。  (一年経ったから、今はもうしゃべっていいかな)と、愛しいあなたよ、 恋人である私の名前を絶対に人に言ってはなりません。    強い口調で恋仲を他言するなと訴えていますが、「我が背子」は相手 にたっぷり甘えるニュアンスがあり、居丈高さと甘えの交じった微妙な味わ いです。    相手に他言する気があるかないかはお構いなし。恋の秘密を共有す ることが一大事であり、人に知られた途端、その恋は邪魔され破局するも の、と身構えるのが当時の恋人たちの恋におけるモラルでありました。   続いて、女郎は自分の見た夢の不安を訴えます。    我が思ひを人に知るれや玉櫛笥 (たまくしげ) 開 (ひら) き明 (あ) けつと 夢 (いめ) にし見ゆる                                ...

(旧HP万葉カフェ13)2020年10月

  笠女郎(かさのいらつめ)その三     万葉集巻四には相聞の歌が集められていますが、笠女郎が大伴家持 に贈った24首はまとめて並んでおり、ひときわ光彩を放っています。女郎 から贈られた歌を、一気に並べて載せたのは家持その人に他なりません。   彼女への返歌は当然あったはずで、家持はそれを自分の手控えなどに 記していたと思いますが、自作は1首も載せていないところに、笠女郎作 品への深い愛着と理解そして敬意が感じられます。   24首を一連として読めば、女の激しい恋心が相手を求め満たされぬ思 いに煩悶し、やがて自嘲まじりの諦めへと移ろいゆく内面のドラマが一人 語りのように立ちあがってきます。ピンと張りつめたテンションの高さは最 後まで揺るがず、笠女郎自身が、あたかも現代短歌の連作という手法を 用いて、一気に24首を創作したとも思えるのです。 そうした作り方は、 王朝時代になると、定数歌という形で現れますが、万葉の時代にあっては やはり、折に触れ笠女郎が「玉梓の使い」などに託した歌々を、受け取っ た家持が保管し、後に編集したと考えるのがよいと思います。   ここでは、24首を少しずつ分けて、女郎の心の変化を読みとりながら味 わっていきましょう。まずは始めの一首から。        わが形見見つつ偲はせあらたまの年の緒長くわれも思はむ 587  「形見」は生き死にに関係なく、その人を思い出すきっかけとなる物を いいます。何か贈り物に添えた歌だったのでしょう。「私が差し上げた物 を見ながら思い出して下さいね。(あらたまの)年の緒のように長く私もお慕 いしましょう」枕詞以外の技巧が無く可憐な可愛さが滲んでいますが、 「わが」「われ」と一人称を重ね、我の強さも感じさせ、家持は若干引いて   しまったかもしれません。      白鳥の飛羽 (とば) 山松の待ちつつぞわが恋ひ渡るこの月ごろを      588   上二句は「待ち」を引き出す序詞です。飛羽山は未詳ですが、奈良市 の東大寺背後の若草山に並ぶ小峰とも言われます。鷺の様にまっ白な 鳥が飛ぶ映像が浮かび、今に...

(旧HP万葉カフェ12)2020年9月

  笠女郎(かさのいらつめ)その二  今回は、笠女郎と付き合い始めた頃の大伴家持の歌を二首読んでみまし ょう。    振り仰 (さ) けて若月 (みかづき) 見れば一目見し人の眉引 (まよびき) 思ほゆるかも                                                巻六・994    巻六は年代順に並べられており、この歌は天平5年の作といわれ、家持 の作歌年のわかる最も早い歌とされています。家持は15~17歳だったよう です。題は漢語の「初月」で三日月のことをいいます。     振り仰いで三日月を見ると、一目見たあの人の引いた眉の形が思い出さ れるなあ。   「三日月」を「若月」と記して「みかづき」と訓ませたのは、万葉仮名が持つ  漢字の絵画的な効果を期した、家持自身のこだわりでしょう。三日月の形 に眉の引かれた、若々しい天平美人の花のかんばせが浮かんできます。   上二句は「已然形+ば」により「~したので、~すると」という条件を設定し、  以下の展開につなげる基本的な歌の型の一つです。また、漢詩で「娟娟 蛾眉に似たり」というところを、「若月の眉引」と言い得たところに柔らかい官 能美があり、多感で繊細な表現への気負いが初々しく感じられます。        大伴家を中心とした天平歌壇ともいうべき交流の中で、笠女郎の心を摑 んだ一首かもしれず、「一目見し人」とはもしや自分のことかも、と相手から そんな昂ぶりを引き出す魅力を湛えています。    恋のなれそめに相応しい華やぎのある歌ですが、この歌が作られる前年  おそらく天平四年に作ったとされる家持の歌に注目してみます。      我が屋戸 (やど) に蒔きし撫子 (なでしこ) いつしかも花に咲きなむ なそへつつ見む                   ...

(旧HP万葉カフェ11)2020年8月

  笠女郎(かさのいらつめ)その一  毎日大鍋で炙られるような熱波に苦しんだ八月でしたが、笠女郎が大伴 家持に贈った恋歌29首は、今夏の酷暑に劣らぬ熱量で万葉集に屹立し ています。恋する若い女の激しい情念は、近代の『みだれ髪』と比べても遜 色ありません。  どちらも自らの文才を頼みに華麗なイメージを次々繰り出し、早熟さと 手練手管の混在する、アンバランスで一途な恋心が定型から溢れ出てい ます。  ただし、笠女郎の恋は与謝野晶子と鉄幹のようにはゆかず、短期間で 終わりを迎えました。ここでは何回かに分けて、彼女と家持の恋の成り行き を追ってみたいと思います。今回は初々しい恋の芽生えを、二首の歌から 読み解いてみましょう。  名門大伴氏の嫡男に対して笠氏は中小の氏族であり、女郎は初め、相 手の身分に一歩も二歩も引いていたようです。身分違いの貴公子への憧 れが、恋の始めにありました。   託馬野 (つくまの) に生 (お) ふる紫草 (むらさき) 衣 (きぬ) に染 (し) めいまだ着ずして色に出 (い) でにけり                                巻三・395  「託馬野」はどこか不明ですが、近江の地名という説があり、額田王と大 海人皇子の「紫野」のイメージが重なります。その紫草で着物を染めたとい うのですが、「紫」は高貴な色で家持を暗示しています。上の句、私の心は あなたに染められてしまった、というのです。  下の句は、まだ着物を重ねて共寝もしないうちに、私の恋心は表に出てし まいました、と羞じらいながら相手の気を引いています。「色に出でにけり」  つまり世間の人が気づいてしまうかも知れないと、不安を訴えながら、どう ぞ振り向いて下さいと懇願している一首です。同じ時に、次の歌も家持に贈 られています。      奥山の岩本菅 (すげ) を根深めて結びし心忘れかねつも     巻三・397    上三句が「結びし心」の序詞になっています。奥山の岩の根本に 生える菅が地中深く根を伸ばす映像を、「深く結びあった心」に重ね ているのです。心が忘れられないといいつつ、菅の「根」には「寝」が掛けら れていて、二人が結ばれたことがさりげなく示されています。   ...

(旧HP万葉カフェ10)2020年6月

   丹沢山塊や相模阿夫利嶺の南面に位置する秦野盆地は、四季折々い ろいろな鳥が鳴き声を競います。早春に拙かったウグイスの鳴き音が、美 しい歌声に変わる頃、夏を告げるホトトギスの出番です。甲高く「きょきょきょ っ、きょきょ!」と鳴く声は、まるで「我、ここにあり!」と名告りを挙げている かのようで、深夜や明け方に聞くと、ふと異次元空間に紛れ込むような興 趣を覚えます。万葉歌人がこの鳥に強く愛着したのも、むべなるかな、と思 えるのです。  その中で高橋虫麻呂の作品は、ひときわ異彩を放っています。虫麻呂は ホトトギスの「托卵」という習性に注目して一篇の長歌と反歌を作りました。  うぐひすの 卵(かひご)の中に ほととぎす ひとり生まれて 汝(な)が父 に  似ては鳴かず 汝が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺ゆ  飛び翔(かけ)り 来鳴き響(とよ)もし 橘の 花を居散らし ひねもすに   鳴けど聞きよし 賄(まひ)はせむ 遠くな行きそ 我がやどの 花橘に   棲みわたれ鳥                                                      (巻九・1755)   反歌  かき霧(き)らし雨の降る夜をほととぎす鳴きて行くなりあはれその鳥 イスのさえずりを想像させつつホトトギスの鳴き声を思わ せ、卯の花と橘とを取り合わせています。「賄はせむ」は、「お礼はするよ」 の意で、お礼はするから遠くには行かないで、わが庭の花橘にずっと棲ん でいておくれ、と鳥に哀願するのです。一方、反歌でかき曇る夜空に鳴く 声をあわれ、と歌うのも忘れません。  ホトトギスは主にウグイスの巣に托卵するそうですが、奈良時代すでにそ ん...

(旧HP万葉カフェ9)2020年5月

  自粛による蟄居が続いています。毎日無事に送れることが何より有り難い 時節、春先にはおずおずと試し鳴きだったウグイスが、青葉の中で誇らし げにさえずったり、庭のヘビイチゴの紅い実に朝露が光っていれば、翳り がちな気持もほんのりと明るみます。  そんな折、毎日新聞の夕刊で澤田瞳子による歴史小説の連載「恋ふら む鳥は」が始まりました。万葉屈指の女性歌人「額田王」を主役とするもの で、一年間という長丁場が予定され、万葉ファンのみならず古代史愛好家 も楽しませてもらえそうです。  額田王については、『万葉集』が伝える十二首と『日本書紀』の天武二 年二月の条に「天皇、初め鏡王の女(むすめ)額田姫王を娶りて、十市皇 女を生(な)しませり」とあるだけで、その実像は深い歴史の闇に閉ざされて います。歴史資料の読み込みに定評のある作家の筆力が、どんな歌人像 を浮き彫りにしてゆくか。巣ごもりの日々に、夕刊を待つ楽しみが増えました。  「恋ふらむ鳥」というタイトルは巻二にある、弓削皇子との贈答歌から引 用されています。持統女帝の行幸に随行した弓削皇子は、吉野から倭京 (飛鳥)の額田へ次の歌を贈りました。天武亡き後、かつての華やかな活躍 の場は無く、額田はひっそりと老いの身を養っていました。    いにしへに恋ふる鳥かもゆづりはの御井の上より鳴き渡り行く   巻2・111  「昔のことを恋う鳥でしょうか。ユズリハの樹のある御井の上を鳴きながら 飛んで行くのは。」天武の皇子でありながら持統の御代に不遇だった弓削 皇子は「懐旧の鳥」に自らを投影しています。そして、同じく過去の人となっ た額田と哀愁を分かち合おうとしたのでしょう。  また弓削皇子は「昔を恋う鳥とは何か、ご承知ですか」という問いかけも しています。中国の故事によると、ホトトギスは懐古に悲嘆して啼く鳥とされ ていましたから。    いにしへに恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし吾が思へるごと   巻2・112  「昔を恋うて啼くのはほととぎすですね。もしや、私が昔を恋い慕って鳴 くように、啼いていたのでしょう。」額田は弓削皇子の思いを汲み、遠き天智 天武の世を懐かしみながら、身に付けた教養もさらりと示しています。  弓削皇子との贈答歌によって、額田の晩年に最後の輝きが添えられました。 (寺井登志子)   

(旧HP万葉カフェ8)2020年4月

   年齢を重ねてありがたいと思うのは、振り返る時間の堆積に厚みが増した ことです。日々刻々と変容する外界に、心身が追いつけなくなってゆく代償 の果報でしょうか。来し方は感傷だけでなく、心細く不安な現在に揺らぐ心 の、自分だけのささやかな添え木のようにも思えるのです。    万葉集に触れたのは半世紀前、高校の教科書で出会った次の一首が、  その後連綿と続く万葉追慕のきっかけとなりました。       君が行く道の長手を繰り畳(たた)ね焼き滅ぼさむ天(あめ)の火 もがも     巻十五・3724    作者は狭野弟上娘子(さののおとかみのをとめ)、弟上でなく茅上(ち がみ)と伝える本もありますが、私の記憶には「弟上」で刷り込まれています。   一読して激しさにショックを受けました。      「あなたが行く道の、その長い距離をたぐりよせ、焼き滅ぼしてしまう天の 火が欲しい!」と天に拳を振り上げ、切なさのあまり泣き叫ぶ女人の姿が目 に見えるようです。      「君」とは官人の中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)、娘子も下級 の女官でした。目録(目次)によれば、宅守は娘子を娶ったとき勅勘を蒙り  越前へ流罪となりました。新婚の夫婦が都と越前の配所に生き別れ、悲嘆 の贈答歌が交わされ、巻十五は後半部にその63首を載せています。    天平11年(739)の事件ですが、宅守が何のために流罪となったのかは 分かりません。二人の結婚自体が、禁忌に触れるものだったとする説もあり ますが、娘子は天皇に仕える采女(うねめ)ではなく、律令体制が産んだ当 時のキャリアウーマン的存在ですから、何ともいえません。     新婚早々の二人は、今でいう国家官僚の共働きカップルです。新婚の 悲劇は当時宮廷内で評判となり、二人の歌群は後宮の女官たちなどの紅 涙を絞ったのではないでしょうか。     取りあげた一首は、歌群冒頭で夫との別れに臨んで歌われました。この歌、 万葉出...