(旧HP万葉カフェ21)2021年6月

  笠女郎(かさのいらつめ)その十一 

 振り向いてくれない家持に、激しい恋情を訴えた笠女郎でしたが、その後、不本意ながら平城京を去り「故郷」へ帰ることとなりました。どこへ帰ったのか。笠一族の本貫(本籍)地の備前国笠か、古京の飛鳥、藤原の地であったのかはわかりません。けれども、相手の妻訪いを望むべくもない遠地だったことは想像がつきます。


 心ゆも我(わ)は思はずき またさらに我が故郷(ふるさと)に帰り来むとは                     

 巻四・609 


 上二句は、八首前でも使用されています。「心ゆも我は思はずき 山川も隔たらなくにかく恋ひむとは(601)」つまり、「心底、思ってもいませんでした。山河の隔たりがあるわけでもないのに、こんなに逢えずに切ないなんて。」と、近距離なのに逢おうとしない家持を怨んでいます。それに明らかに対応しているのが、この歌です。


 本当に、心底、思ってもみませんでしたわ。華やかな都を去って再び、わびしい故郷に帰ってくるなんて…。


 いかなる事情があったのかは、小説家的想像を巡らすしかありません。けれども、高貴な人への恋を育んだ華やかな都に比べれば、たとえ故郷とはいえ、どんな所でも色褪せて見えたことでしょう。しかし、女郎が平城京をたち去ったことは事実でした。いわば、この歌、家持への未練を自ら断ちきるための「転居のお知らせ」だったのです。そしてもう一首。


 近くあれば見ねどもあるを いや遠(とほ)に君がいまさば ありかつましじ                      

 同・610


 結句「ありかつましじ」がわかりづらいのですが、相聞歌の常套句で「生きていられないでしょう」と訳します。「かつ」は上代に用いられた可能の補助動詞、下に打ち消し語を伴って、付いた動詞に不可能と推量の意味を加えます。


 近くに暮らしていればいつかは来て下さる、と待つことで逢瀬は無くてもどうにか忍ばれようものを、いよいよ遠く離れてしまえば、どうにも生きてはいられませんわ。


 これまでの一連では、死ぬの生きるのとさんざん歌った女郎でしたが、ここでの「もう生きていけません」というフレーズは常套句で、さらりと挨拶程度に添えているような印象です。満たされぬ恋を表現力豊かに激しく歌い続け、家持を圧倒した笠女郎。その彼女が最後の二首で、存外、大人の対応をしていることに気づかされます。

 古代にあって物理的な距離の隔たりは、とりもなおさず、関係性の隔絶に直結します。そうした現実を前に、可憐で情熱的な恋の一連を残した笠女郎は、ここで永遠に家持の前から姿を消すことになりますが、それをわが運命として受け入れる覚悟のようなものを、この二首は示しているように思います。

 恋の一連を歌い続けた時間は、切なくも満たされたものだったに違いありません。そして、歌を詠む時間こそが、運命を甘受しようとする人間的成熟を彼女にもたらしたのかもしれないのです。

 女郎からこの二首を受け取った家持は、この期に及んで、ようやく返歌を送ります。遠く隔たった相手を思いやる歌が二首、この後に続くのですが、家持の言い分を次回にじっくり聞きましょう。

(寺尾 登志子)

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