(旧HP万葉カフェ24)2021年9月

  紀女郎(きののいらつめ)その一 

 万葉集には大伴家持と歌を交わした女性歌人が少なからず登場します。前回までは、家持に一途な恋心をぶつけた笠女郎の作品を読んできましたが、今回からは、家持より十歳ほど年上だった紀女郎を取りあげたいと思います。

 家持にとって紀女郎は、笠女郎とは対照的に母か姉のような存在で、心を許して甘えられる相手だったようです。老いらくの恋を想定してユーモアたっぷりにやりとりしたり、女主と下僕の立場に成り代わって、花の贈答を愉しんだりしています。紀女郎の歌は全部で十二首、そのうち五首が家持との贈答歌です。

 二人の息の合った丁々発止のやりとりは後に譲るとして、まずは「紀女郎の怨恨(うらみ)の歌三首」という、一風変わった題詞の付く三首を採りあげてみます。

 「怨恨(うらみ)の歌」とは強烈ですが、特定の相手に向けるものでなく、漢詩によくある女性の怨恨詩を主題として創作したもので、大伴坂上郎女も同じテーマで作品化しています。紀女郎と坂上郎女は親交がありましたから、当時の花形女流が漢詩の主題を競い合って歌ったのかもしれません。今回は三首のうちの一首目を読んでみます。


 世間(よのなか)の女(をみな)にしあらばわが渡る痛背(あなせ)の川を渡りかねめや        

 巻四・643 


上二句では、もし自分が世間一般の普通の女だったら、と仮定しています。「女にし」の「し」は強調、「痛背(あなせ)川」には、「あな!背の君よ」の含意があるようです。結句は「め」が推量の助動詞で、反語の「や」が付いていますから、「渡りかねてためらうだろうか、いや躊躇せずに渡る」と言っています。

もし自分が普通の女だったら、私が渡ろうとして思い悩む辛い恋路の川を、何のためらいもなく渡ることでしょう。でも自分は、そんなふうに決然と、恋に向かって突き進むことができないのです。

女が川を渡るとは、当時、口さがない世間の妨害に屈せず、思いを遂げることを意味していました。一首は、一途な恋心のままに行動することをためらう自分の境遇を怨んでいるのでしょう。

そこには、紀女郎の個人的な事情が反映されているようなのですが、「自分は世間の女とは違う」、この自意識の意味する彼女の境遇を、次回は解き明かしたいと思います。


(寺尾 登志子)


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